木村秀蔵翁伝記(アース製薬創業者) 出版のお知らせ

明治末、大阪から瀬戸内海の小さな漁村に移住し、塩の苦汁から世界に誇る炭酸マグネシウム開発に成功した現アース製薬創業者木村秀蔵翁の家族と村の物語である。 アマゾンのサイトの画像 炭酸マグネシウムの生産には、塩の副産物の他、大量の水が不可欠で、…

『木村秀蔵翁伝記』復刻を終わって 

『木村秀蔵翁伝記』復刻を終えて 木村秀蔵翁の孫にあたる嶋谷徹氏との出合いは、私が企画したシリーズ「瀬戸内坂越から北前船がもたらしたもの」がきっかけだった。 東京と実家のある赤穂を行き来していた私は赤穂観光協会のガイドになり、坂越の北前船と赤…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版(最終回)

第37回 第10章 終篇 最終回 今や、日本は、国を挙げて米英撃滅の為に戦いつつある。国家総力戦とはお互いに苦しみ、その苦しみに耐えて敵撃減に邁進することである。 若き日の秀蔵は、かつて欧米碧眼の商人の横暴に憤激して、舶来品駆逐の先頭に立ったのであ…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第36回 

第36回 第10章 終篇 その1 これで秀蔵の伝記は終わったのではない。何故なら、翁は尚矍鑠(かくしゃく)として健在である。ただ脚部の故障の為にその起居に多少の自由を失っておられるだけである。 彼の生活は、真に男子として悔いなき敢闘の歴史であり、成功…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第35回  

第35回 第9章 信念に生く その3 ………毎月贈恵せる金額既に本年三月までに二千円に達し、中一千円を客年十二月末日本村氏の意志にもとづき、大阪住友、安田の両信託会社に、各五百円宛五十年間据置預金とし、五十年後において(誓約書、省略)、各項目に充当す…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第34回 

第34回 第9章 信念に生く その2 「最後にもう一つ、創業以来炭酸マグネシヤ製造に関して、小林富次郎氏から寄せられた好意と鞭撻、炭酸マグネシヤ輸出に非常な御尽力をされた友田合資会社及び、「チキウ」、「キイロン」販売の昔より終始変らぬ好意を示され…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第33回

第33回 第9章 信念に生く その1 「成功は人力ではない、天の力だ」と言う秀蔵の信念は、「至誠神に通ず」という信条が全生涯を支配したのである。 「天は無言にして徳あらずんば動かず、神は著明にして誠あれば必ず感応す、福運の源は誠実に在り」と看破し…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第32回

第32回 第8章 成功路 その4 実に炭酸マグネシヤの成功以来、秀蔵の不断の努力はここに大いなる果実を結ぶに至った。「キイロン」「チキウ」の昔より、「ネオアース」に至る道程は必ずしも短いものでもなく、平坦なものでもなかった。しかし誠実と努力と忍耐…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第31回

第31回 第8章 成功路 その3 国産「アースタム」を最初に、あらゆる困難を克服して今や木村製薬は大東亜共栄圏各地に向って経済建設、資源開発、宣撫工作の一翼を担いつつ、不断の活躍を国策の示すところに沿って続けているのである。 この木村秀蔵伝記は…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第30回

第30回 第8章 成功路 その2 かかる困難なる情勢下にあって、「万人油」は更に南洋方面にまで其の販売を開拓せんと企画されたのである。 昭和十四年(1939年)、大阪日商株式会社を南方輸出総代理店として蘭領東印度方面は同社スラバヤ出張所、英領印度及ビル…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第29回

第29回 第8章 成功路 その1 昭和八年満洲事変はめでたく終結し、満洲国は洋々たる前途を祝福されつつ独立したのである。わが産業界も、こぞってこの大陸を目指して進出を競った。 木村製薬所では、三井物産株式会社の手を通じて殺虫剤「亜蘇」・家庭薬「亜蘇…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第28回

編集 第28回 第7章 アースタム出現 その3 年代は前後するが、秀蔵が人に対する信頼感の良き例の一つとして、江見宏正氏との関係を誌そう。 江見氏は岡山で或る火災保険会社の代理店を経営していた。勤勉な彼は特に日曜日を特勤日として、この日は自転車に乗…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第27回

第27回 第7章 アースタム出現 その2 其の後、続いて木村製薬所は淋疾治療剤「ゴノバーム」「リンダリン」・歯槽化膿性疾患治療剤「ピレピン」・水蟲治療剤「ペリラ」・粉末駆虫剤「撃滅」等売薬及部外品等に数種の薬剤を発売した。 一方炭酸マグネシヤに付随…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第26回

第26回 第7章 アースタム出現 その1 殺虫剤「アース」の創製によって秀蔵は念願の一つなる輸入品の駆逐に成功した。 そこで次の作戦に移った。 それは、大正六年頃より急激に輸入された家庭薬「メンソレータム」に対する挑戦であった。 原料は主としてわが国…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第25回

第25回 第6章「アース」への途 その4 アース発売に際して、あらゆる宣伝方法が試みられた。博覧会、共進会への出品は勿論、実物宣伝が大規模に行われた。 たまたま尾道市に「チフス」患者の発生があった。 秀蔵は直ちに社員を派遣して消毒用として「アース…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第24回

第24回 第6章「アース」への途 その3 昭和4年(1929)、次男英次郎は四国三野家次女末子と結婚し、薬業視察の為世界一周の旅行に上がった。 半歳に亘る旅行を終えて帰朝した彼は、家庭衛生に意を用い、欧米諸国の視察により得た知識を以て家庭用殺虫剤の製…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第23回

第23回 第6章「アース」への途 その2 百合子夫人は、当時のことを回想して筆者にこう語ってくれた。 「その頃、自動車もなく、ここまでは船に乗って来ました。 まだ、ほんとに淋しいところでした。 私は幸いミシンを持っていたので、炭酸マグネシヤの袋をミ…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版

第22回 第6章 「アース」への途 その1 世界に誇る優良炭酸マグネシヤの完成と共に秀蔵伝は、半生の悪戦苦闘の歴史から順風満帆の極めて快適な人生航海に変わってゆくのである。 ただ、秀蔵は決して烈々たる闘魂を如何なる場合にも失うことはない。 それは、…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第21回

第21回 第5章 徳孤ならず その4 「木村翁は御家族の慶事の為に不在で、御令息木村利一氏が、工場を案内して下さった。 ここにも驚いたことがあった。炭酸マグネシヤ製造に於いて、世界無比を誇るこの大工場に事務員二人ということである。如何に、其の組織が…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第20回

第20回 第5章 徳孤ならず その3 田熊氏の半生は、全く悲劇の連続であった。事業の失敗の為一家は離散し、一度は債鬼を逃れるるために朝鮮に逃れ、大陸に渡り、途中思案にあまって月明の玄海灘へ身を投じようとさえした。 しかし、天は彼を見捨てなかった…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第19回

第19回 第5章 徳孤ならず その2 炭酸マグネシヤを製造するに当たり、是が主要配合剤として「曹達灰」が必要である。この曹達灰は、従来英国ブランナーモンド会社から輸入を仰いでいた。当時の外国会社の常として、我国業者に対して取り引きに関しても非常…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第18回

第18回 第5章 徳孤ならず その1 「地球印」を筆頭に、「銀世界印」「世界印」「月世界印」「化学印」等の炭酸マグネシヤが用途にあわせて次々と製造せられた。これらの木村製炭酸マグネシヤは、純良な品質によって、日に日に内外共にその名声を高めるに至…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第17回

17回 第4章 試練に耐えて その4 人の和の力こそ、大いなる成功の要素である。 完成を、神に感謝する秀蔵にもまして喜んだのは,小林富次郎氏であった。 秀蔵の熱意に動かされ,炭酸マグネシヤの製造を依頼したものの、幾度か失敗を繰り返す秀蔵を、小林氏は全…

アース製薬創業者 『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第16回

第16回 第4章 試練に耐えて その3 流石の秀蔵も今度ばかりは力を落とした。そして、今日まで歩いて来た茨の路を振り返るとはなしに思い出した。実父との生別、丁稚の頃の苦しさ、やさしき母の顔、小寺氏の親切、孤軍奮闘の西野田時代。 しかし、彼は今日まで…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版第15回

第15回 第4章 試練に耐えて その2 唯一の貯水池を失っては、工場は全く心臓をとられた身体と同じことである。 しかも資金難の中から、漸く作られた貯水池である。 炭酸マグネシヤの製造には、水は一刻も欠くことが出来ない。 僅か五百斤(300キログラム)を…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁の伝記』 ブログ版 第14回

第14回ー 第4章 試練に耐えて その1 工員たちの申出は、自分達の給料を半減しても工場の経営の足しにして頂きたいというのである。自分達が栄えるのも亡びるのも、皆主人一家と運命を共にしたいというのである。給与は半分になっても、微力ながら以前に倍…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁の伝記』 ブログ版 第13回

第13回 第3章 坂越工場の建設 その4 彼を激励する声が彼の耳に聞こえてきた。 『世の発明家はみなこの苦しみを経験してきたのだ。いやこんなことではない。発明の為には一家離散さえしてしまった者もあるではないか。私などの苦しみはまだなんでもない』 彼…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁の伝記』ブログ版 

第12回 第3章 坂越工場の建設 その3 工場が出来てからも裏山には狐や狸がいたという話は、元監査役工場長原文次郎氏から私は直接伺った。その頃の坂越の里の淋しさは、想像以上であったろう。 塩の専売で漁村はさびれ、廃船はいたずら渚に捨てられていた。…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版

第11回 第3章 坂越工場の建設 その2 遂に熱意は熱意をもって迎えられたのである。 『有難う御座いました。また若輩の私如きにこのような大事業をお任せくださいました御好意に対しましても、必ず完成してご期待に添いましょう』 秀蔵は初一念を通したうれし…

アース製薬創業者『木村秀蔵翁伝記』ブログ版

第10回 第3章「坂越工場の建設」 その1 当時の事情を知る為に、ライオン歯磨工場技師 松野恵蔵氏の談話を掲げよう。 明治の創業当時の ライオン歯磨 神田店舗 出典『ライオン歯磨き80年史』(ライオン歯磨刊 昭和48年版) 『私の入社当時は、炭酸カルシウ…