第13回
第3章 坂越工場の建設 その4
彼を激励する声が彼の耳に聞こえてきた。
『世の発明家はみなこの苦しみを経験してきたのだ。いやこんなことではない。発明の為には一家離散さえしてしまった者もあるではないか。私などの苦しみはまだなんでもない』
彼はいよいよ熱心に研究に従事したのであるが、東京の小林商店へ送り出す商品はすべて不合格であった。
( 出典:ライオン歯磨き80年史)
ライオン歯磨き80年史によると明治40年7月小石川工場内に小林試験所を設立、歯磨きの研究を開始する。当初はドイツ産の炭酸マグネシアを使っていた。秀蔵翁は開発した炭酸マグネシアを、この試験所に送っていたと考えられる。
突返された品の送料は勿論、製造家の負担である。 このような状態が、もう一ヶ月も続けば工場は閉鎖の憂目(うきめ)を見ねばならぬことは火を見るより明らかであった。昼夜の別なく研究に没頭する秀蔵には更に工場経営の経済上の悩みも続けねばならなかった。
この木村秀蔵伝記は、2023年3月17日からアマゾンから書籍とキンドル版で発売されます。今後はそちらでご覧ください (企画 東京都 矢竹考司)