木村秀蔵翁伝記(アース製薬創業者) 出版のお知らせ

 明治末、大阪から瀬戸内海の小さな漁村に移住し、塩の苦汁から世界に誇る炭酸マグネシウム開発に成功した現アース製薬創業者木村秀蔵翁の家族と村の物語である。

 

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炭酸マグネシウムの生産には、塩の副産物の他、大量の水が不可欠で、塩に産地瀬戸内海地方は大量の水を供給できる地域は少なく、最初に開発した鳴門でも大量生産に至らなかった。

ライオン歯磨の初代小林富次郎も研究所を作り良質の炭酸マグネシュウムの開発をしていたが、断念する。

 富次郎は木村秀蔵の熱意から秀蔵に任せる。

 

2023年3月末に坂越のまち並みを創る会が発行する広報誌

 
 
秀蔵は塩の産地赤穂(坂越)で研究を続け、富次郎が認める製品が完成するのに最初の完成から10年かかった。

  赤穂市広報提供

多くの苦難の中で、千種川から山越え水を引く等、奇抜なアイデアで世界に誇る炭酸マグネシュウムの大量生産に成功する。この成功が、思いがけない展開をもたらすことになる。

 「世界一の品質を誇った秀蔵の炭酸マグネシウム」が貿易港として開港した神戸のゴム工業の発展に、大きく寄与する事になる。

 これは、ゴムに炭マグを加えるとその耐久力が倍増することをゴム会社が発見し、秀蔵が開発した炭酸マグネシュウムだけだった。年間千トンもの輸出し、ダンロップブリジストンなど名だたる企業が木村製薬の炭マグを使用することになる。

 

秀蔵は、事業の成功だけではなかった。

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 木村製薬所まで、水道を敷設する工事(昭和10年赤穂町より9年早かった)
 

 秀蔵の言葉に「この土地で仕事をさせて貰うからにはこの土地の為に奉公したい」の言葉があるが、工場まで水道を敷設するが、当時、井戸水しかなかった沿線の坂越町の民家に無償で水道水を供給、小学校建設にも多額の寄付をしている。

 原料や製品を大量輸送ができる使われなくなった帆船が坂越港に沢山あったことが事業拡大の後押しになった。f:id:chopini:20230314231724j:image

  さびれていた港に帆船の賑わいが戻ってきた(昭和初期の坂越の観光絵ハガキ

 苦汁の原料の赤穂塩、帆船が沢山あった坂越港は北前船でそれぞれ日本遺産に認定された。
                   東京都 矢竹 考司