2020-01-01から1年間の記事一覧
第11回 第3章 坂越工場の建設 その2 遂に熱意は熱意をもって迎えられたのである。 『有難う御座いました。また若輩の私如きにこのような大事業をお任せくださいました御好意に対しましても、必ず完成してご期待に添いましょう』 秀蔵は初一念を通したうれし…
第10回 第3章「坂越工場の建設」 その1 当時の事情を知る為に、ライオン歯磨工場技師 松野恵蔵氏の談話を掲げよう。 明治の創業当時の ライオン歯磨 神田店舗 出典『ライオン歯磨き80年史』(ライオン歯磨刊 昭和48年版) 『私の入社当時は、炭酸カルシウ…
第9回 第2章 孤軍奮闘時代 その4 新川の工場も手狭になった。そして此花区西野田新家町に工場を新築拡張することになったのである。「チキウ」「キイロン」の販売の目鼻がつくと、これを店の若いものに任せて秀蔵は直に新しい事業に没頭した。それは歯磨粉…
第8回 第2章 孤軍奮闘時代 その3 明治36年(1903年)1月最初に製薬されたのが鉄剤鉱泉外用「チキウ」、内用「キイロン」という二つの製品であった。 この二つの製品によって彼は売薬商として一挙に世に出ようと試みたのである。そして何か最も目新しい方法…
第7回 第2章 孤軍奮闘時代 その2 其の頃難波工場に於いては、専ら局方並びに化学用白塩酸、硝酸、舎利塩、硫酸等が製造されていた。 しかし人生の行路はつねに平坦ではなかった。二人の努力は小さいながらも一工場の形態を備えて経営を続行していたが、その…
第6回 第2章 孤軍奮闘時代 その1 青年23歳の薬剤師は年来の希望を達して独立の第一歩を踏み出した。しかし彼の少額の資金は十年間小寺氏の下に丁稚として働いて得た給金の全部であった。明治も25年(1892年)を迎えると大資本を背景に新興事業が続々と勃興…
5回 第1章 丁稚のころ その4 小寺氏は当時 大日本製薬、浪花紡績両社の社長として実業界に 重きをなし大阪に於ける薬種業としても一、二を争う大問屋であった。 この社長にとりただ一つの苦労というのは後継者のないことであった。 (出典 くすりの道修町…
赤穂郡坂越村の頃アース製薬 (坂越八が谷港に面した工場) 出典『ふるさとの想いで写真集赤穂』松岡秀夫著(協力 赤穂市教育委員会) 第1章 丁稚のころ その3 しかし小寺氏は『自分の後継者は秀蔵以外にない』とひそかに秀蔵に この店を継がせることを計画し…
第1章 丁稚のころ その2 ここで翁の祖先について記す必要がある。 翁の祖先は伊勢松坂藩で槍術の指南番であった。しかるに先々代、東(あずま)市兵衛の時、故あって町人となり同じ松坂出身の三井家に仕え、その才腕を認められ主人名代役にまで昇進せられたの…
第2回 目次 第1章 丁稚のころ 第2章 孤軍奮闘時代 第3章 坂越工場の建設 第4章 試練に耐えて 第5章 徳孤ならず 第6章 「アース」への途 第7章 アースタムの出現 第8章 成功途 第9章 信念に生きく 第10章 終篇 第1章 丁稚のころ その1 一粒の種子…
第1回 はじめに (木村碩志) 数年前、まだ母末子が健在な時、古い書類や資料をもらったその中に「木村秀蔵翁伝記」と書いた百五十頁ほどの手書きの分厚い原稿のコピーがあった。 原稿用紙に万年筆で書いたもののコピーで、年月を経ているので黄色く変色して…