第9回
第2章 孤軍奮闘時代 その4
新川の工場も手狭になった。そして此花区西野田新家町に工場を新築拡張することになったのである。「チキウ」「キイロン」の販売の目鼻がつくと、これを店の若いものに任せて秀蔵は直に新しい事業に没頭した。それは歯磨粉の原料たる炭酸マグネシヤの製造研究であった。
此花区は北側が淀川、南側は安治川に挟まれ全域がほぼ平地となっていた
その頃、炭酸マグネシヤは遠くドイツや英国から輸入せられて、遺憾ながら国内ではまだ製造することが出来なかった。
この木村秀蔵伝記は、2023年3月17日からアマゾンから書籍とキンドル版で発売されます。今後はそちらでご覧ください (企画 東京都 矢竹考司)